大神神社の御神体、三輪山に登拝してきました。

山行記録
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そもそもなぜにヒトは山に登るのか。

自然が好きなのか、動画や写真を撮影したいからなのか、ストレス発散なのか。

山に入る理由は人それぞれでしょうが

三輪山に限って言えばそれは「信仰」になるのでしょう。

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奈良にある三輪山

奈良県は桜井市にある大神神社(おおみわじんじゃ)、その御神体として崇められている三輪山。

登山をするようになり、束の間だけでも自然に身を置くようになって以後、山岳信仰・修験道・自然崇拝といった文化を見かける機会も少なくありません。

無宗教だったと思っていたけれど、自然に対する何かしらの信仰めいたものを自分は持ち合わせていたようで、このコロナ禍で登山に行けない時間を利用し、山岳信仰とはなんぞや。

といくつか書籍を読み漁っていました。

そこでとある書籍で割と名前が挙がっていたのが、今回登った奈良県の三輪山。

日本には今もなお信仰の対象として崇め奉られている山が数多くあり、三輪山もその内の一つ。御神体としての三輪山の前には、大きな鳥居が鎮座しています。

ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。

http://oomiwa.or.jp/jinja/

三輪山は古来から大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が鎮まる神の山として信仰されていたようで、古事記などには御諸山(みもろやま)、 美和山、三諸岳(みもろだけ)などと記載されています。

標高こそ500mに満たない小さな山だけれど、草木の一本一本には神が宿り、山に点在する磐座(いわくら)は、それこそ神を宿す依代として、神そのものとして信仰されているようでした。

三輪山へのアクセスとコースタイム

三輪山の麓、大神神社への最寄り駅はJR三輪駅。

そこから徒歩で数分で神の座す山が待ち構えています。周辺には有名な三輪そうめんを取り扱う店舗や、奈良に来たのなら一度は食べておきたいラーメン、彩華ラーメンがあり下山後の楽しみも問題ありません。

ちなみに三輪山のピストンは概ね往復2〜3時間程度。道中トイレが無いことや、写真撮影は厳禁であるなど、諸注意があります。登り始めは大神神社ではなく、そこから少し歩いた狭井(さい)神社となることをお忘れなく・・。

そして三輪山へはハイキングや登山と同じような気分で、というよりは黙々と粛々に歩くほうがオススメです。注意事項は以下リンクを読み込んでください。

三輪山で感じたのは、神が鎮座する「そこ」が示す歴史。

三輪山参拝証明証を受け取り、カメラをしまい込み黙々と歩くこと40分程度で、山頂の奥津磐座へ到着。道中は歩きやすく、危険箇所もさほどなく、見どころもさほど。

ところで山頂の手前にあった高宮神社の方が「それらしかった」のに、山頂には本当に磐座しかありませんでした。御神体として岩や樹にしめ縄が巻かれているのはよく目にしたけれど、奥津磐座には「それ」らしき大きな岩が見当たりませんでした。

帰ってから調べてみると、磐座というのはただ巨岩や大きな山を指して言うのではないようです。

磐座はかならずしも、天然現象である岩石・巨石、またはその集群を見つけて、これを直接に畏敬し、そのものを神とするものではない。

日本人は古来、そこを神座と心得、神を招き奉ってはじめて祭祀を行ない、崇拝をするのである。

「大神神社」中山和敬

そしてこの三輪山の山中にはこの奥津磐座だけではなく、他にもいくつか磐座があるそうです。帰ってからこの存在に気がつくと、もう一度行ってみたい気分になります。

そしてそれがどういった経緯で、どういった思いから人々に磐座として信仰されるようになったかを考え出すと、どうでしょう。

ロマンしか感じませんよね。えぇ。

大人になるにつれて所謂「神様」のありがたみというか、存在そのものについて懐疑的になってしまうのはどうしようも無いと思うけれど、

よく思い出してみると、色々な場面で神様に祈っているような気がします。

神様だか、仏様だかはっきりしないけれども。

山で出くわす「神々しさ」を体感すると、「やっぱりいるのかなー。」とも思ったりします。自然の圧倒的なスケールって本当に恐ろしいです。どうにもなりません。

まぁ帰る頃には忘れているんですけれども・・。

ただそういった自然を目の当たりにした時に、ふと自分の立ち居振る舞いはどうあるべきかと考えさせられるあたりに自然崇拝じみた何かを感じます。

よく分かりませんが・・。

ではまた。

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