ここ数日は暖かくなったり、寒くなったりと徐々に春の訪れを感じさせる天気が続きますね。
いかがお過ごしですか(唐突)
そろそろ今年の夏山計画を建てねば!と意気込みながら、2018年の夏山写真を振り返っていたところ、登山中気になったハイカーがいるなーと思ったので、まとめてみました。
偉大な山のエネルギーを一身に受けんとする瞑想老男
あれはいつぞやの伯耆大山に初めて登ったときのことでしょうか・・。
山頂に着いたぞー!と思い山頂の伯耆大山の石碑で写真を撮ろうと思っていると、ちょうどその石碑の少し奥のあたりにいました。瞑想老男。
白いタンクトップを着ているものの、茶黒く焼け、じっとりと汗か油か分からぬ液体でしっとりと湿ったその肌は、きっと毎日こうして山頂で瞑想しているのだろうと想像するに容易かったです。
町中で見かけたら通報されかねないやつです。
小一時間経ったくらいで伯耆大山のエネルギーを吸い取れたのか、その男性は去っていきました。何か悟りは得られたのでしょうか・・。流石に足はたくましく、きっと健康的な男性なのだろうと思わせるそれでした。
どこでも腕組みおじさん
山で腕を組みながら歩く人ってどこかしら玄人っぽいというか、上級者感がにじみ出てますよね。何なら周りへのそういったアピール目的で腕組んでいる人もいるんじゃないか問題です。
歩くときに楽になるらしく、自分もいつぞやの登山で腕を組みながら歩いてみましたが、ブレるものが少なくなった分多少楽になった気がしました。
平地などでは無意識の内に腕組みしていることもしばしば。
印象に残ったのは北穂の岩稜帯の岩場で、流石に3点支持が求められる箇所に差し掛かったのにも関わらず、頑なに腕をそのまま組み続けていたおじさんでした。一歩一歩足場を確かめながら、恐る恐る歩いていくその姿は、さながら腕を瞬間接着剤で固められているのではと思わせました。
TPO
山の番人的、マウント取るおじさん
特定の山というか、どこにでも出現するおじさん。最近聞いた話では夏場に笠新道に名物おじさんがいるそうな。
俺はこの山のことなら何でも分かる。この先は危ない。一緒に行ってやろうか。今から登ると危ない。引き返せ。
などありがた迷惑な文言をのたうち回る、典型的な老害おじさんです。ソロで登っている女性の前に出現する事が多く、通りすがりに絡まれている現場によく遭遇します。それ下界だと一発アウトだで。
同じ男性として、とても申し訳ない限りです。
老婆心はありがたいですけれど、初対面の人からマウントを取りに来る発言をされた時の不快感たるや、想像を絶します。
山小屋で通ぶる人
登山におけるオアシスといえる山小屋。その各々の年間利用者が何人に及ぶかは分かりませんが、山小屋の主人が何の出来事(毎日通う・以前働いていたことがある等)もなかった一般登山者を覚えていることは、難しいだろうと思います。
少し考えれば分かりそうなことですが、何故か自分は山小屋に通いつめており小屋の主人と懇意にしている風を醸したがる方がいます。これは男女問わないですね。
サンタコス(男性)
撤退を決めた伯耆大山で出会ったのは、子どものころ愛してやまなかったサンタさん。
愛していた理由は、主に物欲の権化だったからに違いありません。大人になってからは、以下に親を苦労させいたか、よく分かるようになってきました。
夢や想像上ではあくまで男性のサンタがイメージされますが、実際に会うとなるとどうせならかわいい女性のサンタが良かった・・・。
とはいえクリスマスが終わった最中、雪山という過酷な環境で自分の命を呈してまで他の登山者を楽しませようとするその心意気、僕は素晴らしいと思いました。
結論、気になるハイカーは男性に多い。
こと登山においては、こういう方は男性に多い印象です。残念ながら。毎回気になるのはおじさんばかり・・。そしてソロハイカー・・。いずれ自分もこうなる日が来るのでしょうか。
登山は楽しいですし、危ないです。
確かに登山中明らかに装備が不十分だったり、後続者への配慮に欠けている人を見かけることはあります。その人を注意したくなるのも分かります。しかしそうでない方々に対してもマウントを取り、他人への世話焼きをして自己満足に浸っているのはいかがなものかと。
ぜひともその行動を下界に置き換えて考えてみては?と思うのですよ。
瞑想おじさんに関しては、今度遭遇したら瞑想が終わったタイミングで、登山の頻度がどの程度なのか聞いてみようかと思います。伯耆大山行かないとですね。笑
最後まで読んでいただきありがとうございました!