家族旅行で行った、雪原の美ヶ原で味わった冬の厳しさ。

この記事は約4分で読めます。
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

2024年の12月上旬、久々に家族3人で冬の美ヶ原に行ってきました。

個人的には行ったことがない土地への旅行が良かったんですが、ここは我が家の長である母の希望を優先して、旅先は美ヶ原となりました。

美ヶ原は八ヶ岳中信高原国定公園の北西部。

ちょうど長野県の中心付近に位置しています。

松本市、上田市、小県郡長門町に連なる高原で、最高地点の王ヶ頭からは日本百名山の約三分の一が見渡せる大パノラマ。

あいにく今回は展望を楽しめませんでしたが、一面が真っ白に染まった美ヶ原はとても綺麗でした。

スポンサーリンク

冬の美ヶ原に泊まるなら

美ヶ原周辺にあるホテルは、今回宿泊した山本小屋ふる里館王ヶ頭ホテルの2つ。

3度山本小屋ふる里館に宿泊していますが、立地的に景色が良さそうかつ、王ヶ頭までの距離も短い王ヶ頭ホテルにも宿泊してみたいなぁと思っています。

ただし好立地(最高峰の王ヶ頭に近い)である分、王ヶ頭ホテルのほうが少々値が張ります

両者とも、人気のお宿。冬場に限って言えば満室のこともしばしば。

ちなみにふる里館と王ヶ頭ホテルは姉妹施設、兄弟経営だそう。爆音を轟かせて走る雪上車体験中、美ヶ原に関するいろんな話を聞くことができて、興味深かったです。

まぁ聞こえにくいこともしばしばなんですが。

冬の美ヶ原へのアクセスですが、例年11月下旬から4月中旬頃まで通行止めになる箇所がいくつかあり、両館ともに冬期は無料送迎バスを運行しているので、雪道の運転に不慣れな場合はこちらの利用を検討すると良いでしょう。実際自家用車でのアクセスは推奨しない旨の記載がありました。

我が家は大阪から上諏訪駅まで自家用車で移動したのち、ふる里館の送迎バスにお世話になりました。

バスに揺られて上諏訪駅から美ヶ原まで

上諏訪駅からふる里館のある美ヶ原までの送迎バスは昼頃の出発。

時間までは上諏訪駅近辺の酒蔵とツルヤを巡って、今宵のお酒とアテを入手しておりました。

試飲できる酒蔵もあり、こちらもなかなかに楽しかったですよ。

ここからふる里館まではだいたい1時間〜1時間30分程度だったでしょうか。道中は急勾配の道が続きます。道中はカモシカを見ることができラッキー。

今回案内されたのは1階のお部屋。入口がフロントだったのに、そこは2階という独特な作りをしています。今回は3名で宿泊しまして、2名はベッド、1名は畳の上で敷布団でした。

こたつのほか、灯油ヒーターなどの暖房器具があり、部屋内では寒い思いもすることなく快適そのもの。

ただし廊下はヒヤッとしていて、お風呂上がりは急いで部屋に戻りました。

雪上車体験は翌朝の日の出に掛けることにして、歩いて美しの塔まで行くことに。

美ヶ原の冬は厳しかった

ちょうど寒波襲来直後だったこともあって、ふる里館から美しの塔までの道のりは新雪でふっかふか。

しかし楽しむ余裕などなく、美ヶ原一帯は強風が吹き続いていて、行き違った方々のトレースもあっという間に消え去るような厳しい状況でした。ゴアテックス製のウェアとフリースなどを着込んでいましたが、それでもギリギリ。

なんてことないはずの、ふる里館から美しの塔までの道のりですら、安心できない厳しさ。知らず知らずにまつ毛が凍っていました。

美しの塔にたどりついてからは、半ば避難のような形で塔内に入って休憩。記念撮影すら気軽にできない、何ならさっさと宿に帰ってしまいたい気持ち。

雪上車で来たグループと合流しましたが、車内から出てきたのは薄手のスカートを着ている女性がいて心配になりましたね。寒さをはるかに通り越して、痛そうでした。

陽が沈むとともに風も収まったので、帰路は満月を見ながらのんびりと帰宿。

2024年のラスト満月でした。

天気に恵まれない翌朝

たらふく食べ、久々の飲酒に伴った眠気に抗えず、早めの就寝。

翌朝は予報通りの曇天でして、前回と変わらない展望。

晴れていれば富士山や八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、御嶽山、北アルプスなど日本100名山のうち約1/3が見渡せる展望が広がっているはずなんですが、広がっているのは虚無。

まるでデイ・アフター・トゥモロー。

晴れている美ヶ原の様子は過去記事にしているので、宜しければどうぞ。

雪上車の優しくない振動ダメージを首に感じつつ、王ヶ頭から宿に帰ってきてからは朝風呂で身体を温め、マッサージチェアでほぐし、毎回楽しみな朝ご飯。

ピザ、パン、つきたてのお餅と相変わらずの朝食量で、3人共パンはお持ち帰りさせて頂きました。

さらば美ヶ原

バスの時間までは部屋でのんびり。

11時頃には上諏訪駅まで戻ってきて、見知った諏訪湖周辺を観光して帰りました。

帰阪する頃になって、母の旧知の先輩からの連絡。どうやら母を含め当時お世話になっていたペンションのオーナーがペンションを閉じることにしたようで、最後に会いに来ないかという類の連絡だったよう。

諏訪・茅野を離れて早20年あまりが経ちましたが、徐々にではあるけれど確実に自分たちが見知った人、場所が無くなっていく事にセンチメンタルになる反面、八ヶ岳だけは変わらず佇んでいることに不思議な感覚を抱きつつ、今回の旅行は終了。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
山行記録
kureをフォローする
タイトルとURLをコピーしました