男は2度泣くだろう。

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コロナ禍も半年もすると慣れてしまったというか、飽きてしまった感も否めない今日このごろ。

いかがお過ごしでしょう。

未だに収束の見通しは着かないけれど、わざわざ感染状況で一喜一憂するのも疲れましたね。どうでも良くは無いけれど、いわゆる新しい生活様式を取り入れつつ日常生活を送ることも、それなりに板についてきました。

goto関連事業が始まり、観光地では中々の盛況ぶり。そろそろ通勤電車でも人肌の温かさをすぐそこに感じる日もそう遠くないと思っています。ところでコロナ禍でも東京の朝は満員電車だったのでしょうか・・。

自分はgotoトラベルが始まってから、何度か旅行に出かけました。

「コロナも悪いことばかりでは無かったのかもしれない。」

そう思っていた矢先の出来事でした。

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死別に近い報せ

訃報とはいかないにせよ、ほぼそれに近い報せが入ったのは9月中旬の頃。

遠方に住んでいる祖母が、実は6月頭頃から入院・手術となっていて、今も入院している。食事摂取もできなくなり、いつどうなってもおかしくないとのことでした。

祖母が入院し、3ヶ月が経過したタイミングでの連絡。

こんな状況ですし、連絡をすることで心配をかけたくない。という親心だったようです。父らしい判断だと思いました。そして言いようのない悲しみを覚え、まだ祖母は生きているというのに、家のソファの上で一人大泣きしました。


自分はおばあちゃん子でした。自分が初孫だったということもあり、両家の祖父母からはかなりの寵愛を受けていたと思います。

祖母と共に庭いじりや料理、家の探索や害虫退治など、とにかく自分の欲求のままに祖父母共々振り回していたように思います。

本当にありがたいことです。

孫とはそれほどに可愛いものなのでしょうか。

しかし、そのような日々は-祖父母と田舎で過ごす時間は-徐々に少なくなっていきました。年齢を重ねるにつれ、子どもにはどうにもできない事象が生じるにつれて、毎週末が月に一度、夏・冬・春休みに訪れていたのが年に2回、そして年に1回と。

最後に祖母と会ったのは2019年の3月末のこと。祖父が無くなり、おおよそ1年が経過したあたりでした。その時にはデイケアで絵を書いていることや、他のデイケア利用者の話を教えてくれたりし、あいも変わらず楽しそうに過ごせているようでした。祖父が亡くなってから寂しそうにしていないか心配していたので、孫ながらに安心していたのを覚えています。

その頃にはすでに一度手術をしていましたが、向こう5年位は元気に過ごしてくれるだろうと勝手に思い込んでいました。医療者としては恥ずべき思考回路だったでしょう。

とんだ馬鹿野郎です。

そんな根拠のない自信を持った結果、いつか行こうきっと行こうと祖母にも会いに行かず、墓参りにも行かない日々が一年続き、結果としてコロナ禍となり無闇に田舎に帰ることができない状況となりました。

するべきは後悔ではなく反省だとはよく言いますが、悔やんでもどうしようもない事柄もあるのだと痛感しています。せめて半年に1回以上は祖母の顔を見に、祖父の墓参りをしに帰るべきでした。

すでに自分の帰っていた、祖父母が待っていた田舎はそこにはありません。元気なうちに会えたのに、会いに行かなかった自責の念が募るばかりです。

四の五の会いに行かない理由を並べずに、会えるうちに会うべきでしょう。

まぁなんでしょう。どうにか会えないものか、希望を捨てずに問い合わせてみましょう。

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家族
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