「虫の知らせ」とやらを身をもって体験した数ヶ月だった。

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遠方の祖母が亡くなったのは10月頭のこと。

何故か泣きながら祖母と話す夢を見た日あたりに祖母が入院していたり、ふと祖母の体調を確認するLINEを父に入れたところ、その日の朝方には祖母が亡くなっていたり。

四十九日が終わる頃に夢に祖母が出演してきたり(既に亡くなっていた祖父2人の友情出演あり)、偶然の一致の一言で片付けるには少々納得のいかない、いわゆる虫の知らせを実感することがありました。

祖母と泣きながら話す夢を見た日に関しては、妹も同じ日に夢を見ていたようで、その日のLINEでは冗談混じりに祖母の身を案じる会話が行き交うことに。

今思えば、このタイミングで父に連絡していれば

生前の祖母に会うことが叶ったのかもしれません。

元来スピリチュアル・非科学界隈の事柄に関しては懐疑的、否定的なタチでしたが、今回の一件を受け、自分は少し考えを改めた方が良いのでは?と思います。

こうも便利な世の中にいるといわゆる第六感(インスピレーション・勘・直感・霊感)と称されるものに触れる機会は滅多に無く、懐疑的になる一方。

神様は形だけ、

幽霊はただの脳の錯覚、

生霊はただの思い上がり。

と。

しかし今回の一件を受けてみると、こういった科学的に証明されていない現象じみた何かというものを信じてみたくもなるわけです。

会うことは叶わなかったけれど、

何か」がもう一度祖母と会わせてくれた

祖母が幽霊になって会いに来てくれた。

と。

単に夢を見たタイミングと祖母がそうなるタイミングとが近く、虫の報せらしく解釈しているだけと思う人もいるでしょうが、兄弟が同じ日に、同じような夢を見る確率は相当に低いものだと思うのです。

それはそれとして

祖母の訃報を受けたものの、祖母の状態悪化の報せを受けた時に比べると不思議と落ち着いていて、我ながらあっけらかん・・・・・・としてます。

入院の報せを受けた後には、バーベキュー中にも関わらず、後輩の目の前で号泣をかます醜態を晒したにも関わらず・・。

イマデモハズカシイ。

お酒とは偉大です。

思えば祖父達が亡くなり、葬式が終わっても実感が湧かない日々が続き、いつの間にか亡くなったことを実感というか、死んだという事実を受け入れていたような気がしています。

今回の祖母の死が今まで以上に現実味を帯びてこないのは、きっと葬式すらいけていないことも一因なのかしら。と愚考しています。

本当は今も元気に家で過ごしているのでは。と。

実際はそんなことあるはずも無いのですが・・。未だ祖母の死を受け入れられずにいます。今尚グリーフの過程真っ只中というわけです。

グリーフとは、直訳すれば「深い悲しみ」や「悲嘆」を意味する言葉で、大切な人を失ったときに起こる身体上・精神上の変化を指します。死別はもちろんのこと、離婚などによって関係がきれるとき、引越しで慣れ親しんだ場所から離れるときなど、さまざまな状況で私たちはグリーフを経験します。グリーフは喪失に対する自然な反応で、誰にでもいつかは起こることです。(一部抜粋し引用:グリーフとは?

医療現場では終末期など生命の危機を迎えた患者さんの家族に対して、患者が逝去する前からグリーフケアとして思いを表出しやすい環境の形成などのケアが実践されています。

個人的にはこういった近親者の死の受容には時間がかかり、自分達で受け入れていくしかないものだと思っています。一看護者としては失格でしょうが・・。

グーグルマップで祖父母が健在だった当時の家を眺めてはスクショで残してみたり、昔使っていたPCやSDカードをあさり、当時を想起できるデータをどうにか探そうとしてみたり、アルバムを作ってみたり(遅い)

とにかく今は、祖父母のことを忘れることがとても辛く感じられます。

ふとした刹那に祖母に会いたくなって鼻の奥がツーンとしますけれど、何なら今でも目頭がなんとなく熱くなっているけれど

もうどうしようもないんですよね。

どうしたらよかったんでしょうか。

せめて田舎に帰り、墓参りをしたいけれど、

ふらっと発生したウイルスのおかげで、離れて暮らす家族との団らんは奪われてしまいました。

皆さん今回のコロナ禍で多少なりダメージを負ったと思いますけれど、僕は祖母に対してかなりの負い目というか、どうにもならない罪悪感を抱くことになりました。

まぁ何でしょうね。

後悔の無いように生きていたいものです。

ではまた。

と、もうあの人には言えないのです。

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家族
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