MDを少し齧って、コンビニでメモリースティックに1曲300円で曲をダウンロードしたり、TSUTAYAで興味のない曲が含まれたアルバムを4枚1000円でレンタルし、PCで取り込んでいた世代です。
しかし現代。赤い知恵の実に月1500円程度の水やりをするだけで、手軽に無限にある曲を楽しめるというのは、とりあえず良い時代になったと思う(何様)。
出退勤や運動、作業と家事の合間、大事なあの人と過ごす一時。などなど、ひどく疲れている時や日常で能動的に無音を求めない限り、
動いている時は何かしら、誰かしらの音楽を耳にしている事が多いように思います。
口寂しいというか、耳寂しい。とりあえず何かを聞いていたい感じ?
おしゃぶりか。
それはともかく、最近。というかここ2年程度事あるごとに聞いているのは、
ずっと真夜中でいいのに。
というグループの楽曲。
数年前にバズり始めた正体不明(というてい)で活動しているようで、2020年くらいにはNHKのSONGSという番組(NHK 大泉洋 音楽)にも取り上げられる程度には人気が高まりつつあるらしいです。
事あるごとに。なんて書いてしまうと、自分を熱狂的なファンかなにかと勘違いしそうなのでここで訂正すると、
積極的には聞くけれど、自分から調べたり、ライブに行くほどではない。
というポジションですかね。
もともと「ライブに行こう!」と動けるほどのエネルギーは、どうやら持ち合わせていなかったようです。
話を戻しまして、ずとまよの作詞作曲はACAね(敬称略)。先述のSONGSに出演した時も顔は一切見ることのできなかった、まさしく正体不明のアーティスト。きっと誰しも画面録画してシャドウを上げてやろうとか思ったはず。
そんなずとまよですが、面白いのはまず曲のタイトルで、
ハゼ馳せる果てるまで
こんなこと騒動
低血ボルト
など。
タイトルの意味はよく分からないけれど、何かしら意味ありげな気もします。こういうのを所謂匂わせと言うのでしょうか(きっと違う)。とにかく「どういう意味なんだろう。」と想像力を掻き立てられるタイトルがほぼほぼ。
そういえば、流行するグループとは裏腹に、現代っ子には想像力が欠如しているようです。毎年新人がやってくるけれど、年々その強烈さが増しているような気がしています。
人間関係はSNSと限られた範囲で成り立つ希薄なもの。
上下関係は斜めに、
話を聞く態度は「oh!hey!」という具合。いや別に友達じゃないんやけどね。
まじクレッシェンド。
他の業種ではどうなのでしょうか。別に言葉遣いはこの際どうでも良いけれど、メモを取らない割に、一度教えたことも平気で聞いてくる。そんな世代なのでしょうか。
互いに得をしない、省エネの現代と逆行している新人教育のリアル。
閑話休題
そんな意味深・意味不明なタイトルで飾られた楽曲ですが、歌詞も意味があるような無いような、そんな感じです。ACAね氏が日常で感じた思いを小気味よく綴ったような、そんな内容。
自分がそんな「ずとまよ」の曲をローテーションするのは、他のアーティストの楽曲を聞くと「疲れる」という理由。
音楽に求めるものは、もちろん人それぞれでしょうが「どうして」を連呼する悲愛をテーマにした曲や、つい叫びたくなるようなラブソングよりは、誰かが日常で呟いたような、ふと心で思ったような内容のほうが気楽に聞けるというか、すっと入ってくるんです。
権利を武器に変えて争うほど 心を失うこと受け入れる
低血ボルト
引っ付く横長の目 鬱陶しいけど 逃げる準備に疲れたわ
MILABO
知りたくない あの子と彼との空間中継
サターン
通勤までのエンジンをかけたくない頭、退勤後で何も考えたくない頭に軽快なメロディーと共に、たまーにすっと入ってくる歌詞がとても良い。
大嫌いなあの子、考えたくもない仕事など、色々と雑音の多い昨今。ずっと真夜中でいいのにというグループは「どこかの誰かも、同じ様なこと思ってんだな。」なんて安心感を、何とも心地よいメロディーに乗せて、自分に与えてくれるのです。
ありがとう。
ではまた。