毎年紅葉に染まる京都に行こう行こうと思いつつ、気がつけば紅葉シーズンを逃しているので、きっと間違いない。
心がときめかない。
コロナ禍で遠出することが憚る世の中ではあるけれど、旅行そのものでコロナが拡がっているとは考え難い。というわけでほんの数日前に快晴の嵐山に悦び勇んで行ってきたのです。休み明けというにも関わらず嵐山は多くの観光客で賑わっていました。昼頃には嵐山の数少ない飲食店には人が犇めき合い、土日の混雑具合は恐ろしいものだったんでしょう。いやに目についたのはお年を召した団体ツアー御一行。
せめてマスクはしましょうね。
京都が誇る紅葉の名所、嵐山の紅葉はそろそろ見頃を終えようとしていたけれど、やはり行ってみると渡月橋やその後ろにそびえる嵐山、山肌を染める紅葉はたしかに綺麗で見目麗しいものでした。ほぼ思いつきのノープランで行ってみたものの、写真撮影やお土産屋を回ってみたりと2時間程度散策を楽しみました。
ただ、紅葉狩りの最中にどうしても付きまとってくる違和感があり、それは「紅葉を見に来て結局何がしたいんだっけ?」というもの。友人とくれば紅葉の美しさを共有しつつ与太話に花が咲くのでしょうが、紅葉を一緒に観に行くような情緒を分かち合おうとは思えません。紅葉の写真を撮ろうと思い勿論カメラも持っていったのですが、なんだか楽しくない。なんだろうこの閉塞感は。
根っからの優柔不断も相まって、嵐山に来た目的を明確にしていなかったのが原因だったのでしょうか。登山もそうですが、綿密な計画をして旅行に出かける事が下手くそです。
この不完全燃焼感の否めない嵐山から数日経過して思っているのは、紅葉だけを目的にすると旅行は破綻。紅葉狩りに絡めてグルメや寺社巡り、トレッキング等+αが無いと満足できないのだろうということと、非日常体験と言うにあたり、京都は物理的な距離が近すぎることが要因だろうということです。
趣味である登山であればそのものが非日常体験ですし、時期にもよりますが紅葉や雪見と温泉、下山後の地酒などもほぼ自動的に付いてきます。
満足度の高い旅行とはなんぞや。ということで少し調べてみました。
観光動機や過去の旅行経験といった個人差要因にかかわらず、新奇体験、健康回復、ポジティブ活性といった経験評価が、旅行の全体的な満足を高めるということから、これら 3 つの評価は、観 光動機や旅行経験といった個人差を問わず旅行満 足を高める要因であるといえる。
観光行動の本質は、日常生活圏を離れて非日常の生活圏に行くことである。「脱・日常性」の欲求が観光旅行のモチベーションにとって重要な要素であることを指摘している。(略)
日常的な環境との違いを実感することや、日常生活圏からの長距離移動によって、ポジティブ活性が高まる。つまり、日常生活から心理的、 地理的に分離することによって、ポジティブ活性は高まる。観光旅行の根本的な意義は、日常を脱することにあるのだから、ポジティブ活性の高まりが旅行満足の成立にとっては不可欠である。(一部抜粋し引用:観光地での経験評価が旅行満足に与える影響)
とのこと。
もちろん自分の計画不足も否めないですが、大阪在住の者として、京都は少々日常生活から近すぎる可能性あるということでしょうか。新しい体験という観点からしても、紅葉狩りは新鮮味に欠けていたように思います。
物理的に距離が近い京都を散策するときには、京都の歴史や文化・食事まで十分下調べをした上で訪れるべきであろうというのが、今回の教訓でしょうか。こういう時に助けてくれるのは、やはり周りの友人や先輩・後輩、そしてパートナーになってくるのでしょう。関係性を大事にせねばなるまい。
まぁなんだ、こんな小言は置いといて。紅葉はやっぱり綺麗でした。あっという間に今年も終わりです。
ではまた。